TOUCH さわる

 

縁 炉筒煙管ボイラー

 

高校を卒業後、

1993年 農薬の製造会社に入社

後に知ることとなる、運命的な出会いが訪れた

 

蒸気を作り出す設備、炉筒煙管ボイラーとの出会いです

 

配属となった部署が運転管理をする設備、ボイラーは、会社のお風呂の加温や、製造に必要なエネルギーとして使われていました

入社後、先輩や上司から指導を受けながら、

知識や技能を身につけていきました

その後、二級ボイラー技士・一級ボイラー技士を取得する

 

入社後3年間は出社後、まず、ボイラーを炊く作業から始まる

点火の際はLPガス、燃焼時はA重油、炎の状態をチェックし圧力が8kまで上昇するのを待つ、そして、水面計の機能チェックを行い徐々にバルブを開け工場に蒸気を送る

このような作業を毎朝行なっていた

4年目になり部署が変わり、ボイラーとお別れをし、その後6年間はほぼボイラーに触れる機会は無くなった

 

入社10年目に転機が訪れる

工場の閉鎖が決まりました

 

ほとんどの社員が退社した後、残りの半年間を4人の社員だけで製造を行なった

入社後配属になった部署の内の4人です

僕は工場閉鎖の年の半年間、再び毎朝ボイラーを稼働させました

長年このボイラーを定期的に管理してくれた顔馴染みの業者さんも、度々工場に足を運んでくれました

 

このボイラーを通して、様々な人との縁がありました

そして半年が経ち、僕たち4人は最後にこの工場を去りました

 

ぼくはその後、プラスチックの成形そして、発泡スチロールの成形、そして現在の清涼飲料水の製造、このように職場を転々とし現在に至ります

 

現在の会社の初出勤当日、まず当時の工場長に会社の説明を受けました

その時に、信じられない事を聞きました

なんとこの工場に、ぼくがあの日お別れした炉筒煙管ボイラーがあったのです

同じタイプのボイラーではなく、当時僕が使っていたボイラーです

 

現在の会社は、当時工場が閉鎖になった会社から中古であるこの設備を、買っていたのです

その他にも、僕が使っていたフォークリフトや屋外タンクなど、多数愛着のある設備がここにはありました

 

どんな奇跡が起こると、こんな確率を超えてゆくのでしょうか

 

僕はボイラーに挨拶にいきました

 

ここにいたんだね

 

手で触れました

ボイラーは僕に話しかけてきました

 

「お前もがんばれよ」

 

だれも信じませんよね

少しうるうるしたのを覚えています

縁は人だけでなく、物や場所、言葉、あらゆるものを対象とします

奇跡や偶然なんかじゃなく、もっともっと有り得ない確率の中

再び会うべくして会えた、とっても深い縁です

 

この設備と同時に、時を越え再び当時の業者さんと現在も、共に仕事をしています

30年近く同じ製造業界で仕事をし、いろんな人を見てきましたが、僕がすごいと思った人は彼ら以外にいません

現在は簡易的なボイラーが主流となり、資格要らずで運転ボタンONで放ったらかしで済む物に、あらゆる会社が移行しています

何度も炉筒煙管ボイラーから貫流ボイラーへ移行させる話はありましたが、蒸気の質であったり、安定供給の観点から見て保留の状態で現在に至ります

乾いた蒸気を送り、エネルギー量が多く、燃焼効率の良いボイラーは、取り扱いという観点から無くなりつつあるのです

 

現代において、あらゆる業界でこの様な事が起きていると思います

何を残し何を手放すか、とても大事な局面にあります

この先、どんな未来が待っているかはわかりませんが、僕はこんな「縁」を大切にしたいと思っています

 

 

現在、彼(炉筒煙管ボイラー)は

40歳です

 

 

 

Gene keys  

32番遺伝子の鍵(目的の領域)

「接ぎ木」